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神戸地方裁判所 昭和50年(わ)484号 判決 1975年10月29日

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

押収してある切断された電気コタツのコード一本を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、中国上海市において父重三と母光子(明治四一年一月一〇日生)との長男として生まれ、幼時父と死別し、その数年後母光子および姉日出とともに光子の出身地の神戸へ引き揚げ、昭和三二年に中学校を卒業した後、神戸市内において光子および日出と同居しながら、工員等をして働いていたが、やがて日出は家を出、被告人と光子とは、昭和四二年ころから神戸市兵庫区湊川町三丁目一三番地久保田アパートに移り住み、同アパート内四畳半の間一室に二人だけで生活するようになった。光子は、かつては裁判所の掃除婦を勤めていたが、腎臓を悪くして腎臓一個の摘出手術をしてからは右勤めをやめ、家政婦をして働いていたところ、昭和四六年四月ころ、高血圧症による脳内出血で倒れ左半身不随となったが、約二ヶ月で不自由ながらも日常生活ができるようになり、通院治療を続けつつ、洗たく、買物等をして、日雇人夫として働いていた被告人の身のまわりの世話をし、爾来被告人の収入のみで二人の生活を支えるようになり、被告人は昭和四八年三月ころより株式会社大森組中島班で日雇の雑役夫として働きながら、よく光子の面倒を見ていた。ところが、昭和五〇年七月一八日ころ、光子は突然自室で発作を起こし、右半身をけいれんさせ白目をむくという症状を示し、このときは約五分間で発作がおさまったものの、その後も一日に数回同様の発作を起こし、その回数も日増しに増加し、発作の程度も激しくなっていき、そして、発作がおさまっている間は苦痛もなく日常生活はできたものの、頭がぼけているような状態がしばしばみられ、光子自身も、被告人に対し、「もう長生きできへんわ」等と死期を自覚しているかのような言葉をはくようになった。被告人は、時々仕事を休んで光子の看病にあたったが、右のように次第に病状がすすむのを見る一方、同月三〇日に光子のかかりつけの医師筧英七郎に往診してもらった際の同医師の言葉から、光子の病気が治らないものであると感じとり、同日夜あれこれ思案にふけるうち、どうせ光子の病気が治らぬものであれば一層のこと自分が光子を殺して楽にしてやろうと決意し、翌七日午後八時五〇分ころ、前記久保田アパート内自室において、朝からいびきをかいて眠り続けたままの光子(当時六七歳)がまたもやけいれん発作を起こしたところを、あらかじめ用意した長さ約一メートル九〇センチに切断した電気コタツのコードを、同女の頸部に二重に巻きつけ、その両端を両手で握って力一杯約二〇分間にわたって絞め続け、よって、そのころ同所において、同女を窒息死に至らしめて殺害したものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(弁護人の主張に対する判断等)

弁護人は、被告人の本件行為は、いわゆる安楽死に該当するものであるから超法規的に違法性が阻却される旨主張するので判断する。

前掲各証拠によれば、判示のとおり、被害者嵯峨光子は、昭和四六年四月に高血圧症で倒れて左半身不随となり、通院治療を続けていたところ昭和五〇年七月一八日ころにけいれん発作を起こして以来、一日数回発作を繰り返すようになり、本件犯行当日の同月三一日には、午前八時過ぎころけいれん発作を起こし、そのままいびきをかいて眠ってしまい、本件犯行に至るまで約一二時間にわたって眠り続けていたものであり、医師溝井泰彦作成の鑑定書によれば、解剖の結果脳に高度の動脈硬化症があり、脳の委縮がみられ、また右大脳半球に数年前生じたと思われる軟化病巣のあったことが認められ、そうすると光子の病気が現代医学の知識と技術からみて治癒することのできないものであったことが一応認められる。しかし、前掲各証拠を検討すると、昭和四六年に高血圧症で倒れた後も日常生活にさほど支障がなく、昭和五〇年七月一八日ころに発作を起こした後も別段危篤状態に陥ったわけではなく、光子の死亡の前日の同月三〇日に医師筧英七郎が同女を診断した結果でも特に危険な状態にあったとは認め難く、殊に、前記鑑定書によれば、「この程度の脳の障害のみでは、何らかの重篤な続発症又は合併症が起るのでなければ自然に容易に死亡するものであるのはやや困難である。」というのであり、この点被告人自身も光子の死期が近い将来に訪れるであろうとは考えていたとしても、目前に切迫しているとまでは思っていなかったことが認められる。もっとも、光子は本件犯行当日の朝発作を起こした後約一二時間にわたって眠り続けており、このような事態は初めて発生したものであって、あるいは光子の病状が急に悪化したとも考えられなくはないが、それまでの経過から考えると、光子の当時の症状につき医師の診断も受けないまま、同女の死期が目前に迫っていることが明白な状態にあったと認めるのは相当ではない。

次に、光子が病気によってどの程度の肉体的苦痛を感じていたかの点についてみると、前掲各証拠によれば、昭和五〇年七月一八日ころにはじめてけいれん発作を起こした後、一日数回の発作が起こり、発作の時間は三分間ないし一〇分間位であり、発作の態様は、「仰向けに寝たまま、手を天井に向かって伸ばし足も同じように天井に向けて伸ばして体を海老の様に曲げ手足を激しく振りけいれん」するという状態であり、発作中の苦痛が相当程度のものであったことがうかがわれ、被告人が光子の発作で苦しむ様を見るに忍びないと思った心情も理解できなくはない。しかし、けいれん発作の時間も比較的短く、また最初にけいれんを伴う発作が起こって苦しむようになってから本件犯行に至るまでの期間も約二週間とそれほど長いとはいえず、発作のおさまっている時は特に肉体的苦痛を感じる状態でなく、それに犯行前日の朝までは時々起きて自分の身の廻りのことぐらいしていたことが認められ、また、本件犯行時においては、時々発作を伴いながらも眠り続けていたものであることなどを考慮すると、本件犯行当時における光子の肉体的苦痛が死にまさるほどの、何人も見るに忍びないほどの激しいものであったとは認められない。

さらに、前掲各証拠によれば、光子は本件犯行当日の朝発作を起こして眠りに落ちるまで、発作を起こしている間を除いては意識が明瞭であり自己の意思を表示しうる状態にあったと認められるけれども、光子自身が苦痛に耐えかねて、被告人に対して自分を殺してくれるように嘱託し、または死ぬことを積極的に希望したという事実はなんら認められない。

いわゆる安楽死がいかなる要件のもとで認め得るかは議論の存するところであるけれども、本件においては、前示のとおり、(1)被害者光子が現代医学の水準からみて不治の病に冒されていたことは認められるものの、その死が目前に切迫していることが明白な状態にあったとは認め難く、(2)その苦痛の程度も何人も見るに忍びないような死にまさる程激烈なものであったといえず、また、(3)被害者自身が被告人に殺してくれるよう嘱託しあるいは積極的に死を希望したものとは認められないのであり、おもうに、行為がいわゆる安楽死として違法性が阻却される場合の要件として、以上の三要件(本件ではこれらのいずれをも充たしていないこと前述のとおりである)のほか、安楽死は医師の手によって行わるべきこと、その方法自体も社会観念上相当と目されるものであることなどの要件の要否も論議されるところであるが、本件においてはもはやこの点について論ずるまでもなく、いわゆる安楽死として行為の違法性の阻却される場合に該当しないことは疑いをいれないところである。

よって、弁護人の主張は採用できないが、右に述べたような事実関係は被告人の性格、行状、殊に被害者に孝養を尽していた点とともに十分考慮に値する情状と考える。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとし、押収してある切断された電気コタツのコード一本は判示殺人の用に供した物で犯人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文によりこれを没収することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 金山丈一 裁判官 上野智 小松一雄)

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